関宿

本日は関宿のことを書いてみたい。
ずっと以前から関宿と言うところに一度は行ってみたいと思っていたのだがなかなか実現しなかった。
先日、思い切って行ってみることにした。この度は、わざと車で行かなかった上に観光地と言うほどのところでもないので交通は不便を極めた。
やっとの思いでたどり着いた関宿城博物館でもらったパンフレットを見てみよう。

「戦国時代には『関宿を支配することは一国を支配するのと同じくらいだ』と言われるほど重要な場所で、ここを手に入れるために戦国大名が戦いを繰り返しました。」とある。
地図を見ると容易に理解できることだが平凡社の百科事典の「関宿」のところを読んでみると「関宿と言うところは利根川と江戸川の分流点にあり江戸時代は問屋・船宿があり繁栄した。」とある。

ご存じのように東京湾沿岸は横須賀・横浜以外は遠浅海岸で、大きな船が接岸できない。浚渫をすれば大きな船が接岸できるようになるわけだが徳川家康は外敵の侵入を恐れ、わざとそれをしなかったと言われている。それでは物資の移入に困るので銚子から利根川を船でさかのぼり関宿まで行き、今度は江戸川を下って江戸に物資を運び込んだと言うことだ。江戸の食料は他地方に頼らず何とか関東一円の作物だけで自給出来るようにと言うことも目論まれたと言うことだ。
③(ここはわかりにくいので面倒な方は④に飛んでください)
利根川を百科事典で調べてみた。要約すると「奈良朝・平安朝時代は下流は武蔵と下総の国境を流れ東京湾に注いでいた。すなわち利根川は館林あたりから南下し今の古利根川の流路を流れ春日部を通って現在の隅田川の川筋に入り東京湾に注いでいたという。往古の渡良瀬川は足尾山地の水を集めて古河の西を南流し現在の江戸川の流路に入り東京湾に注ぎ、現在の利根川の下流の流路は今の鬼怒川の流路であった。
江戸幕府は江戸の都府経営上、利根川の流路変改を行った。すなわち第一には江戸の食料を関東平野でまかなうために春日部から江戸に至る低湿地を排水して水田を開こうとして、第二には利根川の航運を便にして後背地の物資を運ぶために、第三には飲料にする上水、排水路としての下水、防備の上からの河川、水害を軽減するための治水という見地から流路変更を行った」とある。
平凡社の世界百科事典の記事をさらに続けると「1622年(元和7)川俣で三派に分岐していた北の合いの川、南の会いの川を締め切り真ん中の現流路に流した。そして栗橋から東の赤堀川を開削し昔の常陸川を通し鬼怒川の流路を通り銚子で海に注ぐようにした。」とある。

要するに利根川は現在のように銚子の方には流れずに春日部あたりから今の古利根川(ふるとねがわ)に入り、南下し、東京湾に直接注いでおり、銚子に注いでいたのは鬼怒川や小貝川だけだったことになる。
だから利根川は鬼怒川の下流に乗り込んできたことになる。もう少し詳しく書くと、栗橋から東は既存の小さな川を開削し鬼怒川の下流で合流させたと言うことだろう。
この計画を考えたのは家康と言うよりも風水の大家だった天海僧正の意見を大いに取り入れたのではないかと勝手に想像している。
⑤実際に現地を見るとなかなか大変な工事だったようで利根川の治水工事は明治・大正・昭和と続き今に至っているようだ。

画像


この地図だけでは細かいところまで書ききれない部分があった。特に古利根川の下流は複雑で途中から中川と名称が変わり荒川や江戸川に分流しているのである。
荒川・江戸川もなぜか河口付近では名前が荒川放水路・江戸川放水路となっているのである。河口付近では特に積極的に開削をしたためだろうか。


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この記事へのコメント

土屋信介/桜陽会
2009年05月24日 04:04
近代までは大規模輸送は海上輸送が主だったので、大きな川のある街は重要拠点だったということでしょうか。
戦国時代は古河公方の有力武将・簗田氏の居城でしたが、河越合戦(1546年)で後北条氏に敗れた後、いろいろな大名の勢力下に置かれたようです。
後北条氏はもちろん、越後の上杉謙信の勢力下にあったこともあったようです。
(こちらに詳しいことが書いてあります)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%B2%B3%E5%85%AC%E6%96%B9

尚、博物館のHPを見ましたが、元々交通の要衝だったこともあってか車では便利なようですが、公共交通機関だと確かに不便ですね。
2009年05月25日 09:48
コメント有難うございます。古河と言うところは行ったことがありませんが地図を見ると茨城、埼玉、栃木3県に接し、千葉と群馬に一走りというところにありますね。県境を地図で丹念に見ると案の定、川の分岐・合流地域と重なっているようです。きっと重要な地点だったのでしょうね。
ぶん
2009年08月26日 11:17
残暑お見舞い申し上げます。(*^。^*)
お久しぶりです!お元気にお過ごしでしょうか?なんだかはっきりしないお天気が多い夏でしたが…そろそろ秋の気配がしてまいりましたね。
関宿のお話、大変面白く興味深く拝見させて頂きました。車でないと、不便な場所って、結構ありますね…。お疲れ様でした。m(__)m関宿は、戦国時代はとても大切な要となる場所だったのですね!古地図を見るのが興味深く好きなのですが、河川の氾濫によって、頻繁に地図の書き換えがなされてきたのを知り、驚きました。
昔からの河川工事の記録などを見るとその技術の高さに驚きます。

また、楽しく興味深いお話や、不思議で美しい顕微鏡写真など、心より楽しみにして居ります。(*^_^*)よろしくお願い致します!m(__)m
2009年08月26日 11:59
ぶんさんコメント有難うございます。ブログの方はすっかりご無沙汰してしまいましたが近日中にまた復活したいと思っています。

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